幸せについて本気出して考えてみたら
いつでも同じところに行きつくのさ
君も幸せについて考えてみてよ
後で答え合わせしよう
少しはあってるかなぁ?
どうも.
筋肉薬理学研究生です.
最初に断っておくが,本記事はだいぶ荒れる.笑
というか読者の皆さんからすると荒れてるように感じられるということ.
ただ,これは仕方ない.
だって,本気で考えた結果やからな.
そりゃあぶっとんだ見解になります.笑
冒頭は,ポルノグラフィティの「幸せについて本気出して考えてみた」のサビの歌詞.
親がポルノが好きで,昔からよく聴いていたのだが,
今日久々にシャッフルして聴いてたらこの曲が流れてきた.
そこで,筋肉薬理学の観点および独自の価値観から,文字通り「幸せ」という漠然としているものの,誰もが渇望している実態のない事象について,「本気で」考え,独自の見解・結論を導き出してみた.
というのが本記事になります.
早速だが,「幸せ」と聞くと,人それぞれ思い浮かぶものは異なっていて当然だろう.
自分が幸せに感じる物・景色・思い出などは,実に多様性に富んでいるし,
それらが幸か不幸かは一部は個人の(人生)経験に依るところがあるからだ.
ただ,年頃の男女に限定して,幸せを想像したとすると,
「結婚」がかなり上位に位置してくるのではないだろうか.
とあるアルバイトの関係で,筆者はしばしば,「結婚」に関して強制的に考えさせられる場面がある.
自分にその意思がなくてもだ.
恋人もいないくせにそんなこと考えてる暇があるなら,仕事なり実験なりしろよとのごもっともなツッコミが来そうだが,これが仕事なんだから仕方がない.笑
とまあ,結婚が幸せの最たるものだとか思っている人も少なからずいるはずで,
それを否定する気はさらさらないが(感じ方は個人に依るので),
筆者は,本当にそうなんだろうか?と腑に落ちない側の人間である.
(結婚と一言で言っても,結婚式当日の華やかさや,あるいは結婚後の円満な夫婦生活を想像するなど色んなイメージがある)
結婚の幸せは,式当日の瞬間的・単発的なものと,夫婦生活のような持続的なものがあるように思う.
この両者を満たしてこそが,結婚における真の幸せだというのを前提に,以降の話を進める.(それ以外は極論,幸せではないということになる.不幸とは言ってない.)
そもそも,結婚は無論,相手がいないと出来ないわけで,双方の合意のもとに行われる儀式だ.
20代30代なら多くの人が結婚をぼんやり意識し始めることだろう.
(恋人がいる方ならなおさら)
筆者も当然思う.
将来は,とんでもなく好きで尊敬でき,気が合う人(つまりは理想の人であり,同様に相手も自分のことを同じ熱量でそう思ってくれている人)と結婚し,家庭を持ち,死ぬまで円満な時を過ごしたいと.
もしこれが叶えば,間違いなくそれを幸せだと形容するだろう.
つまりは,(幸せをイメージしてその)理想通り行けば,それが幸せということ.
ただ,実情はそうはならないこともあるだろう.
例えば,家柄・親の意向で,許嫁やお見合い相手と結婚したり,あるいは時間的な制約等により,表現は悪いが,妥協した相手と結婚するとか.
ここでゆう妥協とは,もう結婚適齢期だし,今の恋人が特段悪いところもなくて,別れる理由もないし,好きとか結婚しようとかゆってくれてるからしよう.
のような,相手にネガティブな理由があまりないからという場合であり,この機を逃した時の自分のリスクを天秤にかけた時に,結婚がベターかなという消極的・受動的な選択のことを言う.
前者の許嫁・お見合いパターンは,結婚時こそは不幸であると思ってしまいそうだが(理想の相手がいた場合ならなおさら),結婚生活では必ずしもそうはならないような気もする.
勿論,ほんとに馬が合わないこともあるだろうが,マイナススタートな分,夫婦生活の中で,相手を知り,自分を晒し,お互いの長所に惹かれあうチャンスが残されているからだ.
結婚生活は,病気や不慮の事故等で片方が離脱しなければ,数十年続くわけであって,あまり互いをよく知らないところから始まった方が,飽きがこなくて相手に興味を持った時間がより長く維持できる分,幸せの継続が見込まれるとも考えられる.
(ダメな相手を選ばないように、前もって同棲などするというネガティブなやり方が一般的やけど、理想は直感的に良いと思った人と結婚してしまうことではないかと思う派。口で言うのは簡単やけど実際は難しい。)
一方で,後者の妥協した相手のパターンはどうだろうか?
結婚時はそこそこの幸せを手にできるだろうが(自身の結婚するという目的が達成されるため),
(ただ,金メダルだけを本気で目指して頑張ったスポーツ選手が,結果銅メダルやって幸せですか?って話もある.)
その後の夫婦生活は本当に幸せと感じられる場面が訪れるのか...?
筆者的には,結婚相手はミステリアスで好奇心が強く挑戦的な人が好ましい.
それは,結婚後も人間としての魅力を蓄え,より成熟し,話題に欠けることなく,その時々で新しい景色を見せてくれそうだからだ.
また,自分も相手にとってそういう人間になりたいと思う.
自由な時間や好奇心を満たす時間を失ってまで一緒にいるわけやから、余程自分にとって魅力的な人でないとメリットもないだろう。
一方,安定を求める人は人間的な成長が見込めず,大抵の場合,相手のマイナスな事象に対して愚痴や文句を言って,都合のいいように変わることを強要してくるとの個人的な印象がある.
自分に映る相手をどうこうではなく,自分らしさを追求し,相手にどう見せるかどう映すかを考えるべきということ.
こんな感じで結婚の幸せに関して,筆者は腑に落ちないところがあるわけですよ.
以上を踏まえて,結婚の幸せ度があるとすれば,それをランキング化するとこうなる.
理想の相手との結婚>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>生涯孤独>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>妥協した相手との結婚
ここでいう生涯孤独は,友達はいて,恋人はできたりできなかったりして,結婚だけできなかった人ね.
(独りは独りで,刺激的で自由なことができるから,一定は確実に幸せであり,趣旨と違うけど,理想と妥協の比較の基準として入れてる)
いずれも,それぞれの生活が破綻しなければ決して不幸でなはい.
ただ,幸せと胸張って言えるのは理想の相手との結婚だけかなといった感じ.
年老いてくると生涯孤独じゃなくて,最期ぐらいは隣で寄り添える相手が欲しいとか聞いたりするが,これは実に自分勝手である.
同時に最期を迎えるなんて,心中しない限りはほぼ不可能で,片方は看取られて満足に死に至り,片方は残されて自分の番を待つのみ.
ただ,筆者が長生きして死ぬ頃には,AIが隣で看取ってくれるような世の中になってるかもしれないし,人間じゃなくても隣でいてくれることに感謝し,幸せに感じるぐらい閾値が低下しているだろうと予想する.
まあでも,最期に看取ってもらえる人がいるというのは幸せなことの一つであることは間違いない.
当人は死んでいるので幸せと感じることはないかもしれないが,今までの人生で自分を慕い,あるいは自分が影響を与えることができた人が葬式やらに参列してくれると,それが大勢であればあるほど,弔ってもらう人間の度量の大きさ・完成度が窺えるからだ.
(例えば芸能人の死とか,筆者的にはコービー・ブライアントの死は全世界的に最も影響があって,反面,コービーのレガシーを最大限に表現していたと思う.生きた証.)
ちょっと脱線したが,筆者にはそんな結婚よりも遥かに幸せだと感じる可能性のある瞬間がある.(まだ経験してないので可能性と表現)
それは自分の子どもの存在だ.
これは人生で最も幸せに感じることだと思う.絶対に.
結婚相手の判断基準として,この人と自分の子どもを残したいと思うかがある.
これは具体的にどうだったらとかいうものではなく,単純に思うか思わないかだけ.
思わない相手とは勿論結婚はできない.
なんか,東野圭吾のガリレオシリーズで,聖女の救済やったかな?
婚約相手が,自分のことを子どもを産んでくれる(産んでほしい)相手としか思ってなくて,
一人の女性として愛してるから結婚しようというわけではなく,
女性側からしたら,愛してるから結婚しようという風に価値観が変わってほしくて,
なんやかんや過ごすんやけど,結局変わらずに,殺してしまうという.
かなりシリアスな話やったんやけど(うろ覚えで説明ムズイ).
筆者もともすれば,婚約相手に殺される可能性すらある.笑(えない)
ただ,ごっちゃにしてほしくないのが,
冒頭からゆってる「結婚の幸せ」と「子供の存在の幸せ」は全く別.
(ただ,結婚相手に子どものことが絡んでくるからそこは関係あるけど,あくまでもその事象単体の幸せについてってことで)
妥協した相手と結婚して,夫婦生活でまあそんなに幸せだと感じないけど,
子どもができると幸せ全開になるが,
これは幸せを享受する対象が勝手にすり替わってるだけで,
子どもが巣立てば,嘘のように散っていって,
あれ,幸せやったはずやのになんでや?みたいな勘違いがな.
で,年老いてくるともう色んな事がどうでもよくなってきて,
幸せ不幸せについても考えなくなってくると.
ここまでダラダラ言いたいことゆってきたけど,
一緒にいて幸せなパートナーと結婚できてる or しようとしてますかってこと!!!
それだけを「結婚の幸せ」と呼ぶんだと!!!
※あくまでも筆者の個人的な見解です.
※こっからさらに話がエスカレートします...
ちょっと観点が変わるけど,
そもそも幸せを感じるというのは,
五感から刺激を受けて,脳内でドパミン・セロトニン・オキシトシンといった,
所謂幸せホルモンが分泌されて,それを最終的に脳の快楽を司る部位が受容するということ.
五感からの刺激の強さは受ける人や刺激物によって異なり,それに伴うホルモンの分泌量,あるいは受容体の感受性などは当然個人差がある.
幸せなことに優劣をつけてマウント合戦するのが今人間界で大流行してるんやけど(インスタとか実社会とかで),
幸せの優劣(その人が幸せな人かどうか)はあれよ.
例えば,幸せホルモンの合成・貯蔵・分泌・代謝速度,受容体の感受性・数,神経伝達の速度とかを測定して,その数値が優れてる人(この場合だと合成量が多いとか感受性が高いとか)のほうが優秀とかで判断されるべきなのよ.
やのに,なんでか刺激物の良し悪しで幸せの優劣を判断する風潮がある.
例えば,コンビニで買ったシュークリームを食べて幸せだとブログに投稿した人と,
一方,表参道のおしゃれなカフェでパンケーキを食べて幸せだと投稿した人がいたとする.
より羨望の眼差しで見てもらえる方はどちらなのか?
幸せそうだいいなと思われる方はどちらなのか?
いいねがもらえる記事はどちらなのか?
実際に幸せなのは???????
味覚から得る幸せに関しては優劣はおそらくない.
どちらも好んで食べていれば幸せだと感じるだろう.
ただ,筆者的に優劣をつけるとすれば,シュークリームの人のほうがずっと幸せだろう.
それはなぜか.
まず,その人はコンビニで手軽に安価で手に入れられるもので自分が満足するレベルの幸せを手に入れることができる.
一方,パンケーキは,有名店なら行列に並ぶ時間が発生し,かつ値段がそれなりにするにも関わらずシュークリームと比べた時に,見映えがよく,味が凝ってるぐらいのもので,幸せを感じる閾値は十分に超えていて,むしろ過剰すぎて還元しきれてないところがある.(つまり無駄)
加えて,そこまでしないともはや幸せに感じることがないという心の貧しさも反映しているかもしれない.
あるいは,人にちやほやしてもらうことにしか快楽を感じられないか.
例えば,薬物Aがあって,モデル動物に投与してその効果を観察する実験があるとする.前提として,薬はより低用量で効いた方が良い(副作用とか薬価とかの問題で).
勿論,薬物Aがそのモデルに奏功すると仮説を立てた上でそれを実際に検証するわけなんだが,
低用量で効果があった個体と,高用量でないと効果がないとか,そもそも効果がない個体がいた場合,
後者は奏功したとは言い難く,仮説とそぐわないとしてネガティブな結果として判断される.
この場合,パンケーキ野郎は後者.
例えば,自分が重い病に侵されたとき,治療薬が複数あった場合には,
より効果が高く安価なものを選択したくなるだろう.
ある人は,安価な低分子薬で十分な効果が得られたが,
ある人は,あれこれ試したが,高価な抗体医薬しかもう希望が残されていない.
この場合,パンケーキ野郎は後者.
このように考えるとどうだろう?
パンケーキ野郎は,幸せを享受する個体としては劣等であるということがおわかりいただけたのではないだろうか?
(表参道やパンケーキに恨みは一切ありません.例えです.)
そもそも幸せを生み出す刺激物を自らが手掛けたのなら,もう自慢でもなんでもすればいいと思うが,
こんなすごいもので幸せを感じることができましたすごいでしょうみんなもどう?www
は,明らかに違う.
そんな奴は,幸せホルモンも受容体も心までもが貧しい.
本当に比べるべきなのは,刺激物の優劣ではないということを一つの結論として導く!
※ここからさらにエスカレートします.
以上をまとめると,結局幸せって何なの?って話.
究極は以下.
筋肉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>理想の相手との結婚>>>>>生涯孤独>>妥協した相手との結婚
or
おっぱい>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>理想の相手との結婚>>>>>生涯孤独>>妥協した相手との結婚
この二択.
男は結局この二択なのよ.
理性があれば前者,なければ後者.
この二択.
解説するまでもない。
あらゆる物事は全てシンプルな事象の組み合わせで成り立っていると思う.
難しいと思うのは,自身であれこれ思案した結果,ファクターを増やしすぎて,
手に負えなくなってるだけなのよ.
幸せなんて一見難しいテーマも結局は二択なのよ.
ここまで長々と,幸せについて本気出して考えた結果を書き連ねたが,
これが一般論であるべきだとか,共感してほしいとかは微塵も思っていない.
(思ってたらこんなやばいこと書いてない)
(共感できる方は筆者と結婚すればきっと幸せになれます。笑)
これはあくまでも一例.
筋肉薬理学研究生として本気で考えた一例.
賛否両論はもちろんあるだろうが(否定的な意見が圧倒的だと予想),
これを機に一回,皆さんも幸せについて本気出して考えてみてってこと.
たぶんめんどくさくなって,結論は違えど同じような完成度になる人が意外と多いと思う.笑
幸せについて本気出して考えてみたら
いつでも同じところに行きつくのさ
君も幸せについて考えてみてよ
後で答え合わせしよう
少しはあってるかなぁ?
(再掲)
どう?少しはあってました?笑
いやー,白熱しましたね.
アップするのが大変怖いです...笑
ただ,こういう記事を書きたくてブログを始めたのも一理ある.
てことで,また.